辛亥革命 – 今日の語呂合わせ俳句年表

1911年、中国で辛亥革命が起こる。指導者は、三民主義を唱えた孫文。

【暗記用俳句】 ♪孫文が 辛亥革命(しんがいかくめい) 行く人い(1911)る?

1911 辛亥革命

辛亥革命とは?

辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年~1912年にかけて起こった、清王朝(しんおうちょう)を滅ぼし中華民国(ちゅうかみんこく)を成立させた革命(かくめい)のこと。

1911年、武昌(ぶしょう)で清朝打倒を目指した軍隊が蜂起(ほうき)し、これが暴動(ぼうどう)へと発展していく。
このとき、革命の主導者的立場にあったのが孫文(そんぶん)だ。
孫文(そんぶん)は、三民主義(民族・民生・民権の尊重)を唱え、新しい国家の樹立(じゅりつ)を目指した。
そしてついに、1912年1月に、南京で臨時政府である中華民国(ちゅうかみんこく)が成立。
孫文(そんぶん)は、臨時(りんじ)の中華民国大総統に就(つ)いた。

しかし、それから2か月後の3月、正式な初代大総統には孫文ではなく華北の軍閥(ぐんばつ)であった袁世凱(えん せいがい)が就いた。
袁世凱(えん せいがいは、革命当時清朝の実力者だったが、革命側に加担(かたん)して残存勢力(ざんぞんせいりょく)を鎮圧(ちんあつ)、皇帝を退位(たいい)させる代わりに、自分を大総統にするように取引したとされる。

かくして、辛亥革命(しんがいかくめい)によって、300年余り続いた清王朝(しんおうちょう)は滅亡(めつぼう)し、新しい国・中華民国(ちゅうかみんこく)が生まれた。

辛亥革命のきっかけは?

辛亥革命(しんがいかくめい)のきっかけは、清王朝(しんおうちょう)が外国からお金を借り、民間鉄道を国有化しようとしたこと。

1800年代後半、迫りくる列強諸国(れっきょうしょこく)に対抗(たいこう)するため、清国(しんこく)では政治体制はそのままに、優れた技術のみを取り入れようとする洋務運動(ようむうんどう)が盛んに行なわれていた。

ところが、1894年の日清戦争(にっしんせんそう)の敗北で、洋務運動(ようむうんどう)の限界が明らかになり、やはり政治体制そのものを変えなくてはならないという動き(変法運動)が政府内に芽生えた。

ところが、光緒帝(こうしょてい、こうちょてい)を中心とした変法運動(へんほううんどう)は、西太后(せいたいこう)を中心とした保守派(ほしゅは)につぶされてしまう。
すると、1900年に、「扶清滅洋(ふしんめつよう)」を唱えた義和団(ぎわだん)が挙兵(きょへい)するという義和団事件(ぎわだんじけん)が起こる。
西太后(せいたいこうは、この義和団事件(ぎわだんじけん)に乗じ、列強諸国(れっきょうしょこく)へ宣戦布告(せんせんふこく)をするが、逆に列強8か国の連合軍(れんごうぐん)に北京(ペキン)を占領(せんりょう)されてしまう。

このような、一向に改革が進まないばかりか外国の半植民地化している状況で、清王朝(しんおうちょう)はイギリス・フランス・ドイツ・アメリカの四カ国から資金を調達し、民間鉄道を国有化しようとした。
外国から独立しなければならない状況で、さらに外国から借金をしようとする清王朝に、漢民族の怒りが爆発。
そして、1911年9月に、この怒りは四川省(しせんしょう)で暴動に発展。
辛亥革命(しんがいかくめい)の始まりだ。

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