1787年、松平定信(まつだいらさだのぶ)が寛政の改革(かんせいのかいかく)をはじめる。幕藩体制(ばくはんたいせい)の立て直し、備蓄米(びちくまい)。
寛政の改革とは?
寛政の改革(かんせいのかいかく)は、老中(ろうじゅう)松平定信(まつだいらさだのぶ)が、幕藩体制(ばくはんたいせい)を立て直すために行なった改革(かいかく)。
寛政の改革(かんせいのかいかく)は、8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)の孫である老中(ろうじゅう)松平定信(まつだいらさだのぶ)主導で行なわれた改革(かいかく)。
寛政の改革の目的は、幕藩体制(ばくはんたいせい)の立て直しだった。
松平定信
出典:https://mag.japaaan.com/archives/88345/matsudaira_sadanobu
松平定信が老中に就任(しゅうにん)する前は、老中田沼意次(たぬまおきつぐ)による経済振興(けいざいしんこう)を中心とした政治が行なわれていた。
そのため、地方の農村まで貨幣経済(かへいけいざい)が行きわたり、都市部では華(はな)やかな文化が開花した。しかし一方、役人の間では賄賂(わいろ)が横行するなど、政治の腐敗(ふはい)も現れた。
また、浅間山の噴火(あさまやまのふんか)や天明の大飢饉(てんめいのだいききん)などにより、全国の百姓の生活は苦しく、打ちこわしや一揆(いっき)が多発していた。
なかでも、幕府に衝撃を与えたのが、天明の打ちこわしだ。
これは、江戸や大坂だけでなく、なんと、全国の30もの都市で起こり、米屋などが襲(おそ)われて被害(ひがい)を受けた。
その結果、田沼派は失脚(しっきゃく)し、徳川吉宗(とくがわよしむね)の孫の松平定信が老中に就任。名君として知られていた松平定信は、田沼時代の悪習を一掃(いっそう)し、クリーンで統制(とうせい)の取れた幕藩体制(ばくはんたいせい)を取り戻そうとした。
寛政の改革の結果は?
松平定信による寛政の改革は、幕府の体制を整え、財政を立て直すなど、一定の効果をあげた。
災害に備える備蓄米は増加し、幕府の財政危機(ざいせいきき)も脱した。
幕府だけでなく、諸藩(しょはん)でも財政危機を克服(こくふく)すべく、藩政(はんせい)の改革が相次ぎ、効果をあげた。
しかしながら、厳しい倹約(けんやく)や統制(とうせい)を強いられた民衆は、これに反発。
当時、以下のような狂歌(きょうか)が流行することになる。
「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁(にご)りの田沼恋しき」
白河というのは、白河藩主であった松平定信のことだ。この歌の意味は、
「松平定信の正しいけれど厳しい世の中よりも、濁っている田沼時代が懐かしい」
というものだ。
結局、将軍徳川家斉(とくがわいえなり)との対立も相俟(あいま)って、松平定信は1793年に老中の座を解かれ、寛政の改革は終了する。
「江戸時代の三大改革」の改革名、年代、中心人物の覚え方
なお、「享保の改革(きょうほうのかいかく)」「寛政の改革(かんせいのかいかく)」「天保の改革(てんぽうのかいかく)」の3つを合わせて、江戸時代の三大改革という。
江戸時代の三大改革
改革名 | 年代 | 中心人物 |
1.享保の改革 | 1716~45年 | 徳川吉宗 |
2.寛政の改革 | 1787~93年 | 松平定信 |
3.天保の改革 | 1841~43年 | 水野忠邦 |
今日は、これらの改革の名前と年代、そして中心人物の3つを、ゴロ合わせ俳句(はいく)に読み込んで一気に覚える方法をご紹介!が、これだけ情報量(じょうほうりょう)があると、俳句(はいく)ではさすがに無理。(^^;そこで今回は、短歌(たんか)でGo!。(^^)v
覚え方のヒント
「え? 共感点(きょうかんてん)? 江戸時代の三大改革の? そうだなぁ。結局、金をもらわない限り、井戸のそばから断固(だんこ)として離れないと言っていた吉定(よしさだ)が、タダで井戸から離れてくれただけ。共感点(きょうかんてん)なんて、何もないよ」
もしかして、吉定(よしさだ)って、…。w(゚o゜)w ギョェーッ!